2021/04/02 11:30

名もなき石屋は2018年に北海道の美瑛町という欧州の街並みを彷彿とさせる、

美しい町の小さなログハウスから始まりました。

始まりのきっかけはネパールでバドミントンの代表コーチをやっていた時に、
街で数個のヒマラヤクリスタルを手にしたことからでした。


美瑛町でお店を構えていた時は〝全ての石に値段をつけない〟お店として始まり、
値段は購入するお客さんが決めるシステムでした。

そして誰がいくら払ったのかが分からないようにシステムを組んでいました。

その理由はいくつかあるのですが、ここでは割愛します。

美瑛町で1シーズン、ログハウスで店舗を構えた後、
アメリカのセドナへ渡りクリスタルで様々な彫刻を創るクリスタルアーティストと生活を共にし、
メキシコはサン・クリストバル・デ・ラス・カサスという標高2300mの町でマヤ族と共に生活をしていました。

メキシコのサン・クリストバルで居を構え
オパールやアンバーの買い付けや、天然石を様々な手法で編み込む〝マクラメ編み〟を数多くの世界中の旅人と楽しみながら編んでいました。

マクラメ編みとは旅人の遊びでもあるのです。


石屋という生き方



さて、石屋として生きるとはどんな生活になるのでしょうか。
あなたの近くに、石屋としてお店を開いている人はどれほどいますか?

おそらく大半の人は身近にいないのではないでしょうか。
それでは石を編むということは僕自身にとってどういうことなのか少しお話しましょう。

僕にとって石を編むということは〝人と石を繋ぐ〟という役割の元で行なっています。
あなたの人生にとって必ずしも石は必要なものではないかもしれませんし、多くの人がそうかもしれません。

しかし僕は多くの人が必要ではないかもしれないことを、生活の中心として行なっています。
今までに数百という石を編み込み、人と石を繋ぐ役割を担ってきた僕にとって、
マクラメはもはや仕事としてのことではなくなりました。


また、石を編むということは、僕が長きに渡って旅をした〝旅の香り〟を表現するものとなりました。

多くの国や地域で様々な旅人と出会いそして別れ、気がつくと自分の中で表現していた旅の続き。

写真で旅を表現する人。言葉で旅を伝える人。背中で旅を語る人。

様々な旅の表現手段がある中で、旅の香りを目に見える形にするのが石を編むことだったのかもしれません。

僕にとって石屋であることは自分自身が旅人の延長線上で生きているということを、
忘れさせずにさせてくれている役割も果たしているのです。


小さな町で

人口1500人にも満たない、陸の孤島のような町で店を構えることは、
メキシコで生活をしていた時から想像していた名もなき石屋の姿でした。

〝そんなところでやっていけるものか〟

誰に言われるもなく、自分自身でもそれが不可能に近いことは分かっていました。

しかし人生とは面白いもので、自分の頭の中で想像できうることは、
どのような形かは問わず現実にさせてくれるものです。

ほんの一つのきっかけから、名もなき石屋はメキシコで想像していたような隠れ家のような石屋を構えることができました。

どこにあるのか分からない隠れ家のような石屋。

まるでドラゴンクエストのような冒険心とジブリのような幻想的世界を。
名もなき石屋にたどり着くことができた人だけが、感じることのできるワクワクする空間がそこにあります。


旅の続き

メキシコの生活で近所に住むマヤ族を横目にオカリナを奏で、
家の屋上から街を眺めて石を編む。

時より歩いて街の中心の市場へ行きマヤ族が育てた野菜を買う。


そんな旅の続きの生活を北海道の小さな町でも続けています。
窓から見る眺めや景色は変われど、石を編むことも流す音楽の曲も何一つ変わらない生活。

〝旅を続けているみたいだな〟

そんなことも感じることができる小さな何もない町。
逆に多くのものがあればもしかすると今のような旅の続きを感じれていなかったかもしれません。

それほどまでに何もない町です。

世界各国多くの町を歩いてきました。
そして多くの土地で生活をしてきました。

シンプルに、ナチュラルに。
そんな人生と生活を求めて。

まだ見ぬ旅の続きを楽しむために、静かに石を編みます。

手にする人がどこか遠い国を感じるような石を。
身につける人が不思議とワクワクするような石を。

北国の旅人に編まれた石たちは、静かにあなたとの出会いを待っています。

hassy