2021/06/20 08:55


「旅に出たいからやめさせてほしい」
そう言うと、かつての上司はこう言いました。

「上司として止めなきゃいけないのは分かってる。
でも俺個人としてはこの会社で終わってほしくない奴だと思ってる」

25歳の秋だったと思います。
仲の良かった上司とはまるで兄弟のような存在でした。

そんな上司に迷惑をかけまいと半年前に仕事を辞めることを伝えました。
しかしその上司は一切会社に報告せずギリギリになり報告をしたことで、
さらに上の上司から怒られていました。

「お前は何かと目立つやつだろ。色々騒がれるだろうからいいんだよギリギリで」


兄貴肌の強かった上司はタバコを吸いながら言いました。
社内での風当たりを弱めるための僕に対する気遣い。

仕事は嫌いではありませんでした。
確かに大変な仕事だったし、経験がものを言う仕事でした。

何より上司との別れが辛かった。
でも、やっぱり旅に出たかった。

最近、そんな上司との様々な日々を思い出します。
色々な人と仕事をするようになったからでしょうか。

環境が変わったからでしょうか。
最初に務めた会社の上司から学んだことが色々と僕の基礎にあります。

まだまだパワハラが当たり前の時代。
厳しい怒号が飛び交い、気性の荒い仕事場の中、
ミスを怒ることなく実にゆっくりと教育してもらいました。

その後、大きく分かれたお互いの人生。
会社にそのまま残っている上司と、様々な旅をして帰ってきた自分。

今でも続く上司との関係は、僕を会社員時代の気持ちに戻してくれる唯一の存在です。

数年前に一度だけ言われたでしょうか。

「一回しか言わないぞ。お前、会社に戻ってこないか。社長が呼んでる」


39歳


僕が上司に会社を辞めたいと言った時、
その上司の年齢は39歳だったと思います。

そんな上司の気持ちと重ねて比べることもあります。
あの上司がこの歳の時と同じ人間性で僕は仕事ができているのかと。

当時は遠く感じたこの年齢。
それまでたくさんの恥をかいてきました。

関係は変わらずともお互い人生に対する価値観はすでに違うと思います。
それでも長く付き合える関係は嬉しいことです。

石屋以外の仕事で全く違う分野の人たちと仕事をすると、
多くの新しい価値と創造が生まれます。



「すいません。一緒に仕事をしたいのは山々です。
席を空けてくれるのも嬉しいけど、今はやりたいことがあるんです」

上司にはこう返答しました。
そして上司は電話越しで一言だけ言いました。

「おう。わかったぞ。近いうちメシ行こうな」



仕事の楽しさ


会社のお金を使って買い付けそして売る。

半ば、個人経営の集まりが会社になったような商売は、
学校を卒業したての僕には楽しかったと思います。

そんな仕事の楽しさを最近は思い出しつつあります。
商売をしている楽しさではなく、また違った仕事の楽しさ。

周囲の情熱が伝わり、人はそれが楽しみに感じているのかもしれません。
石屋の仕事もそうですが、違う仕事もまた遊びの延長のように楽しいです。

仕事を楽しくすること。
きつい職場の中、僕の上司はその背中を見せてくれてました。

信頼が厚く大雑把な人ではあったものの、一切の不満もすれ違いもなかった上司。

時に何者かを演じているかのように、
仕事をしている自分がいます。

ただ嬉しいことは、仕事と遊びの境目を感じていないこと。
遊びの延長上で僕は今日も生きている。



頼ってくれる人


年齢と共にそんな人たちが増えてくれるのは、感謝以外の何ものもありません。
最初に僕に与えられた仕事は、「ハッシーはハッシーをやってて」

それだけでした。
本当にそれだけです。正解は作る仕事。

答えがあるわけでもありません。
だからこそ頼ってもらえるのはありがたいと思います。

「夢のような仕事だね」

そんなことを言われることもあります。
確かにそうかもしれません。

でも全ては周囲の人の支えがあってこそ。
その中で僕は自由にやらせてもらっています。

世の中の情勢もあって様々な人々とオンラインで仕事をしてます。
いつかまた旅に出て、多くの人と顔を合わせて「ありがとう」と、
伝えれる日が来ることを楽しみにしています。

あの時僕が頼っていた上司のように僕は頼られる存在か。

そんなことを考えることもあるけれど、
あの時の上司が「お前らしくやってるな」

そう思ってもらえることが、
僕にできる唯一の恩返しなのかもしれません。

39歳の6月の夜。
そんなことを考えていました。

三日月が山肌に届きそうなほど珍しい日。
月夜が山をうっすらと照らしていました。

hassy